災害

広島大規模土砂災害 

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、心よりお見舞い申し上げます。

 

なんとなく恐れていた大きな災害が広島にも起こってしまいました。

今年の夏は、ほぼ毎日のように雨が降り、夏らしくない夏が終わろうとしています。

きっと大きな災害が起こる前から地盤は徐々に緩んでいたのではないでしょうか。

災害前夜、安佐南区に住む家族から「そっちは大丈夫?気をつけて!」と一報がありました。その時点で広島市中心部も豪雨ではありましたが、その恐怖感はまだ今一つピンときませんでした。その後、雷と地響きが連発してなり響き、雷が落ちて来そうな不安を感じずにはおれず、パソコンなどの電源を引き抜き、早めに消灯し床につきました。雷が鳴り響く恐ろしい夜、なんとか寝つけていた真夜中の3時~4時頃 地割れのような尋常ではない地響きと激しい雷が“ドカーン!!”と鳴り響き、飛び起きるように目覚めました。

爆弾でも落ちてきたかのような・・・ すごい音 

真夜中でありながら、ご近所からもざわめきの声が聞こえ、そのさなか安佐南区・安佐北区が大変な参事になっていたとは思いもよりませんでした。

幸い私の家族に被害はありませんでしたが、避難の準備をしつつ一睡もできない恐ろしい夜だった様です。

安佐南区・安佐北区の方はきっとこんな思いで一夜を過ごされた事でしょう。

避難勧告がでたとしても、激しい天候や停電などで避難はきっと困難な状況だったことも予測できます。

 

安佐南区は私が育ってきた地区であり、今回の悲惨な現状がまだ実感としてわいてきません。

故郷広島は、比較的に津波や台風の被害が少なく山、川、海、自然豊かで穏やかで過ごしやすい土地だと私自身は勝手な思い込みを抱いておりました。

けれど、自然はやはり侮れません。というより今の異常気象では

『どこにでも災害は起こりうるのだ』ということを、いよいよ裏付けられてしまったような気がします。

 

私の母方の実家も20年以上前に、雨により裏山が崩れた土砂災害で家屋全壊となりました。

祖母は、崩れた柱の間に上手く挟まれ奇跡的に無事で、幸いにも大きな怪我もありませんでした。

その時、親戚一同はもちろんですが、ご近所の方々が総出で土砂や家屋の撤去をして下さり、

多くのご協力があって早く家屋が再建できたことを記憶しております。

命が助かったこと、スムーズに無事に家屋が再建できたこともあり

土砂災害の被害というものの恐ろしさや大変さの記憶が薄れていたことに気づかされます。

 

一瞬にして、家族、慣れ親しんだ家、地域コミュニティを失うということ。 

これらがどれほど希望を失わせてしまうのか、先行きの見えない生活にどれだけ不安は募ることでしょう。これだけの大きな災害ならば、不安や現状が改善し安定した生活までの道のりはかなり遠く感じられる事でしょう。

東日本大震災でも多くの方がいまだ不安な生活を強いられ希望を見出せずにおられます。

復興現状の特集番組では東北の住宅建設等の大工さんや建設業者の確保が大変困難な状況になっており、あらゆる再建のための工事はどんどん遅れている現状を伝えていました。

日本中が喜んだオリンピック建設のために、東北への建設人員が確保できなくなっているのも厳しい現状としてとり挙げられていました。また、高度成長期での建築物の耐久年数も限界となり再建もあちこちで必要とされています。日本全体の建築という思いがけないものが復興の妨げになっているという悲しい事実を知りました。

広島の復興も順調に進むことを祈るばかりです。

 

災害後しばらくは、誰しも支援をしたいという気持ちが高まりますが、本当の意味での復興への道のりは長く

時間の経過とともに寄りそう気持ちは、どうしてもしだいに薄れてしまいます。

被災者の立場にたって長期的に寄り添おうとする気持ちを一人一人が忘れないことも支援として必要なことだと感じます。

 『被災者の方の不安や気持ちを想像し、理解しようとする』

たったこれぐらいのことしか私にできることはないのかもしれませんが。