愛車

 

 

愛車と上手く付き合っていますか。

 

立て続けに起こる痛ましい車事故は

多くの人の関心を向けるかの如く

より子供に被害が及んでいる様です。

超高齢社会や子供の安全な生活環境

便利さと危険が隣り合わせに存在する

現代社会の問題が他にもいもずる式に

繋がっているかのようにも思えます。

私達は誰でも被害者にも加害者にも

なりうるのです。両方の立場になり

様々な視点で生活を見つめ直すことを

求められています。

 

 

私もちょっとした車事故に巻き込まれ

骨折をしたことがあります。

被害者体験は経験済みです。

まさか自分が・・事故とか、骨折とか

我が身にそんな事が起こるなんて

きっと誰もがそう思うことでしょう。

自分に非はなくても、一瞬にして

やっちまった!と後悔のようなものが

サッーとよぎります。

それが自覚でき幸いでした。

 

治療中様々な声をかけて頂きました。

「加害者が戻ってくれて良かったね」

戻らなければひき逃げだけど。。。

「加害者を恨むでしょう」など

他にもいろいろ。良くも悪くも

人は思いもよらない解釈をしている

ものなのだなと思いました。

人の内在する気持ちや感情が

こんな時ひょっこり顔を出し

その人の本質をみせてくれます。

 

加害者の方は当然のごとく

誠実に対応して下さり

何の不満も感情も湧きませんでした。

むしろ気の毒にさえ感じる程でした。

決してむちゃな運転ではなく

自分も起こしかねない事故だと思え

恨むどころか、加害者ではなくて 

良かったと安堵したくらいです。

周囲の有り難い慰めの言葉には

あまり感化され過ぎない、させ過ぎない

ということも必要に感じました。

 

怪我はそれなりに辛かったし

被害者でありながら不快で面倒な

対応を余儀なくされたことは

憤慨することばかりでした。

痛みよりストレスだったと言えます。

それが怪我を治りにくくしている

こともわかっていました。

思うようにならない憤りの矛先は

全く別のところへ向かい

自分でも気づかなかった感情や

蓋をしてきた現状にむかいました。

事故や怪我はきっかけにすぎず

今を立ち止まり自分を見つめる時間を

もらったのです。そう言い聞かせ

年月がたつ程にそう思えます。 

 

自分に湧き上がる感情を自分で忠実に

処理し整理していくしかありません。

周囲はそこに余計な言葉はそえず

寄り添ってあげる事が最大の親切

かと思われます。

事故の悲惨さにおいてはこのような

安易なことは言えませんが

解釈も意味づけも結局は自分次第です。

   

 

事故を負った側の苦痛や悲しみは

どれ程のものでしょう。

事故を負わせた者の罪悪感という

心の痛みはどれ程のものでしょう。

どちらも深く深く傷つきます。

愛車だって傷つき悲しみます。

人も愛車も傷つけたくはありません

事故の背後に潜む困難を思う時

あらゆる視点で俯瞰して見つめる

必要がありそうです。

 

 

 

さて

私の愛車をご紹介しますと

三光線が結ばれたシンボルと言えば

あれですね。高級車♡のあれ!

・・・に近しいシンボルマークの

自称高級車です。まだ乗ってんの?

と言われる程の年代物。もちろん

おしゃれなオールドカーではない。

運転が特に好きなわけでもなく

運転が得意というわけでもなく

なのになぜか、ミッション車。

農家にある軽トラ的な存在で

正直乗りにくいよ。おんぼろだよ。

今時、電気自動車、自動ブレーキ

自動運転へ突入する時代だぞ。と

しかしながら、大事な愛車なです。

 

この愛車の自慢は急発進には応じない

ミッションゆえの安全設計。

どんくさい私にはありがたいけれど

身に沁みついた無意識の運転操作は

ひやっとすることもあります。

 

 

未来型の車社会の変化のなかで

愛車との付き合い方を見直すことは

誰にでも常に付きまとうことなのです。