象徴

 

 

令和の変化を象徴する行事

この11月、目白押しだったようで。

 

天皇即位のパレードの日

BBQしながら、携帯の動画で

パレードの鑑賞をば。

どこでも何でも見れちゃう時代。

お肉食べて~ お酒飲んで~

とってもいい気分で~

ある意味、祝賀状態で拝見。

パレード終盤

車列が素晴らしく光輝いた瞬間

新時代の到来を象徴するかのよう

なんとも美しい光景が広がっていた。

「希望の光」にも思える。

 

行事に際し、若者代表の祝辞

コメント等がすばらしすぎる。

「国民に寄り添われるお姿を見て

令和の時代は皆で気持ちを寄せ合い

協力しあって、国民も

平和の架け橋になれるように。」

 

なんちゅう素晴らしい模範解答か!

こんなに若くして自分自身の

あり方を模索し表現するなんて。

ずるいな、すごいな、日本の宝達。

大人たじたじ。しっかりしろだね。

 

BBQで、のほほんとしていた私

ちょっとはずかしいね。でもいいのだ

新しい時代に変わるのだから。

この若者達について行くぞ。

大きな力を携えた未来の象徴だから。

 

 

それから、このタイミングで

ローマ教皇も来日。

カトリック宗教、象徴のお方

長崎、広島は期待しています。

宗教を超えた平和の祈りに。

世界中の人々に平和意識が高まり

より若者達に浸透してほしい。

 

 

象徴とはなんだろう。

人、物、良き悪しき象徴は色々あれど

そこから各々何を見つめているのか

そのあり方を見て自分は何を思うのか

そして、自分自身は

どうあり、どう振る舞いたいのか

すべて自分の写し鏡としてある存在。

 

象徴が崇拝の対象であるならば

よりそこに意識が注がれているはず

象徴の中の何を崇拝しているのか

考えたことがあるだろうか。

私達を反映する象徴の中には当然

私達が内包されている。

だから、象徴を尊べば同じく

一人一人が尊い存在であり、また

容易に恥ずべき存在にもなる。

 

 

象徴から顧みる自分はどんな風に

映っているのだろうか。

そこから、より自分軸を見いだせたら

あなたも、私も、もう何かしらの

象徴でしかない。

 

 

何の象徴になりましょうか?

恥じない私であるために

自分自身で決めてゆく。

人に認められなくても

主役はすでに自分なのだから。